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A級合祀は「密かに」ではない・・・高森氏のご意見を参考にして


週末の政治系番組では「富田メモ」に関してかなりの時間を割いて報道してました。ブログ界ではこの話題,少し下火になっていますが,その理由としてはやはり貴重な一次史料と云われる割に検証報告が極めて少ないことが一因となっているようです。かく言う筆者も,具体的な検証報告が出るまでは話題にするのを止めようと思っていました。
しかし,週末の番組を観るにつけ,後々のために備忘録的に識者の意見等を書き留めておく必要性を感じましたので以下にそれを記しておきたいと思います。バカ右翼,必死だなと云う香ばしいトラバをいただいたりもしてますが,後で参考にさせていただきますので,まぁ気にしないでやっていきます。
筆者が色々な番組を観ていて最も参考になったのは,やはりチャンネル桜の「日本よ、今...闘論!倒論!討論!」でした。この中で,高森明勅氏の(日本文化総合研究所代表)の秦郁彦氏への反論が興味深いので,番組内でのご発言について記憶を頼りに再現してみたいと思います。大意としてご理解いただきたいと思います。
秦氏は富田メモに関する毎日新聞の特集で以下のような意見を述べておられます(”書評日記 パペッティア通信”様より転載,強調部は筆者による)。
合祀の手順の説明を 秦郁彦(日本大学講師)

従来の推定を裏付ける第一級の歴史資料
靖国神社は天皇参拝の中断覚悟で決断

日本経済新聞社が入手した故富田朝彦元宮内庁朝刊の日記とメモに、目を通す機会を得た。日記は1986年まで、メモ手帳は86年から昭和天皇が崩御される半年前の88年6月までで、両者は重複していない。
 日記は害して簡潔だが、メモは天皇の発病(87年9月)以降は病状を記録する意味もあってか詳しくなり、昭和天皇も信頼する富田氏に言い残しておきたいとの気持ちもあってか、自らさまざまな話題を取り上げ、秘話的なエピソードを含めて語っている。皇室の内情に触れた部分もあり、全面公開は無理だろう。
 第一級の歴史資料であることはすぐに分かったが、この時期に公開することによる波及効果の大きさを思いやった。
 富田氏は天皇が亡くなられた直後の89年1月9日から数回、「亡き陛下をしのぶ」と題したエッセーを読売新聞夕刊に寄稿している。比べてみると、日記やメモを参照しつつ書かれたことは明らかだが、今回発表された靖国神社関連の話題への言及はない。
 さて、論議の的になっている富田メモの靖国部分の全文についてだが、97年に故徳川義寛侍従長の「侍従長の遺言 昭和天皇との50年」(注 岩井克己 聞き書き・解説 朝日新聞社刊)が刊行されて以来、他の関連証言もあって、天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは研究者の間では定説になっていた。徳川氏は松平永芳宮司とのやりとりを、「天皇の意を体して」とあからさまには書いていないものの、関係者や研究者はそのように読み取ってきた。
 したがって、私は富田メモを読んでも格別の驚きはなく、「やはりそうだったか」との思いを深めると同時に「それが私の心だ」という昭和天皇発言の重みと言外に込められた哀切の情に打たれた。なぜか。
 応対した徳川氏がA級合祀に疑問を呈したところ、「『そちらの勉強不足だ』みたいな感じで言われ、押し切られた」(「侍従長の遺言」)という。また、当時の靖国神社広報課長の馬場久夫氏によると、「こういう方をおまつりすると、お上(天皇)のお参りはできませんよ」(21日付毎日新聞朝刊)と宮内庁の担当者から釘を刺されたという。 
つまり、当時の松平宮司は天皇の内意を知らされた時、今後の天皇参拝が不能となってもかまわないという覚悟のうえで合祀に踏み切ったことになる。それは「私は就任前から『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました」という松平氏独特の歴史観に発していた。
 しかも、合祀を期待していなかったはずの遺族(と本人)の事前了解もとらず、神社の職員に口止めしてこっそりまつったため、半年後に共同通信がスクープ報道するまで、国民も知らされていない。松平路線を継承しているかに見える現在の靖国神社は、当然の手順を踏まなかった理由を説明する責任があると考える

ここで,秦氏は取り敢えず二つのことを述べています。それは1.遺族(と本人)の事前了解もとらず」,2.こっそりまつったため」の二つです。これについて,高森氏は以下のような反論をしています。

1.について・・・
靖国神社が御霊を合祀する際,遺族の了解など取り付ける必要はない。これを必要な手順として考える方がおかしい。韓国・台湾等の遺族が「合祀取り下げ訴訟」をやっているが,事前の承諾を得る必要があったのなら,そもそもこのような裁判など生じない。
2.について・・・
こっそり(密かに)ではない。昭和53年(1978)の秋の例大祭時に松平宮司は「白菊会(戦犯とされている方々の遺族会)関係の方をお祀りしました」と公式の宮司挨拶で述べている。確かに,刺激を避けるためA級戦犯の方々とは言ってないが決して密かにではない。

秦氏はこの文の最後に「当然の手順を踏まなかった理由を説明する責任があると考える」と述べていますので,その前の説明はその手続きと解釈されてもおかしくはありません。筆者は1.については秦氏の完全なるミスリードだと考えますが,2.については「こっそり」の前に「神社の職員に口止めして」とありますので,その部分を補完するための副詞と考えることもできます。そこが分からないと何とも云えませんが,少なくとも公式には「こっそり」ではなく,松平宮司は上のように明言していることに間違いはないでしょう。ただ,職員に口外を禁じたというのは松平宮司による言葉として確かなことです。以前に採り上げたことのある松平宮司の「誰が御霊(みたま)を汚したのか」にそれが
「十四柱を合祀したときは、事前に外へ漏れると騒ぎがおきると予想されましたので、職員に口外を禁じました。」

と書かれていますので,秦氏はそれを「こっそり」と解釈したとも取れます。
また,明言については,”神社と神道 神社オンラインネットワーク連盟”様のブログでも採り上げられていますので,引用させていただきます。
ただ、A級の遺族には知らせてなかったようですが、例祭後の挨拶で「祀られるべきして今まで祀られてこなかった白菊遺族会(戦犯遺族会)に関わる14柱の御祭神もお祀りした」と述べ、木村さんだったかに「私の目の黒いうちに祀ってもらえるとは思わなかった」と涙を流して喜ばれたそうです。

これらの一連の動きを見ようによっては「こっそりと」と観られても仕方がない要素はあろうかと思います。しかしながら,必要な手続きを怠る意味として「こっそり」かと云えば,やはりそうではなく,上のように公式に「明言」されていることになります。



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それと,高森氏はもう一つ,秦氏の間違いを指摘しておられます。それは「(合祀には)天皇のご内意がなかった」というポイントです。
前出の文章中にはそれらしい文脈が見つからないのですが,この文章の他にそれを指し示す言葉があったのか,それとも「天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは研究者の間では定説になっていた。徳川氏は松平永芳宮司とのやりとりを、「天皇の意を体して」とあからさまには書いていないものの、関係者や研究者はそのように読み取ってきた。」を,そう解釈して反論しているのか筆者には分かりませんが,以下のことを述べておられます。

3.「天皇のご内意がなかった」について
内意は陛下に伺っている。合祀前のご内意については慣例に従って祭神名表(祭神簿)を提出して手順を踏んで行っている。

これについても先のブログに述べられていますので,引用させていただきます。
靖国神社は戦前も戦後も合祀の前に必ず、祭神簿をもう一つ作り、上奏簿として宮内庁掌典職を通して上奏していました。この年も確か10月5日頃に上奏しているはずで、徳川元侍従長の回想で、靖国から合祀後に廻って来たと言うのは間違いで、もしそれが事実とすれば、宮内庁掌典職のところで留まったと言うことになります。

つまり、陛下にも掌典職にもA級戦犯合祀を隠したわけではなく、事前に届けは出していると言うことです。
今回のメモが正しかったとして、宮内庁は何らかの陛下の意思を、合祀前に靖国に伝える事は可能だった事になります。

これも確かなことでしょう。もし,これをもってしても陛下に上奏が届いていないのなら徳川侍従長近辺が意図的にお伝えしなかったことになるので,側近の落ち度ではあっても,少なくとも靖国側の落ち度ではないということになります。

また,高森氏は以上三つの反論に加え,富田メモを観る上での大前提として,いわゆるA級戦犯を合祀した際の経緯を述べておられました。

・昭和41年(1966)・・・旧厚生省から改正された遺族援護法(恩給法)に基づいた祭神名表が靖国神社側に提出される。
・昭和46年(1971)・・・靖国神社の総代会で合祀が決定される。合祀については宮司預かりとなる(筑波宮司)。
・昭和53年秋(1978)・・・合祀が為される(松平宮司)

この中の祭神名表提出(1966)については法に基づいて行われたもので,神社の裁量の範囲外に当たるものであること,そして1966~1971の空白については,当時国会で議論されていた「靖国国家護持法案」絡みで合祀決定が遠慮されていたことを,それぞれ述べられていました。
さらに,陛下がこの経緯をご存じであったとするなら「法と公正を重んぜられる陛下が」富田メモに書いてあることを仰せになるはずがないと高森氏は結論づけてました。

そこで,この「陛下が経緯をご存じであるならば・・・」が上の「上奏は靖国側から慣例に従って為されている」に係ってくることになります。靖国側からの上奏は確かに為されているでしょう。先出の「誰が御霊(みたま)を汚したのか」にも以下のように書かれていますので間違いないでしょう。
私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に間いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです。

これには直接,上奏を行ったとは書いてありませんが,文脈から上奏を行ったことが暗に示されています。こうしたことを行っているにも拘わらず,陛下に伝わってないと云う事実があるのなら,重ねて言いますが,これは侍従長(宮内庁)側のミスというか「事後判断」によって為されたものとなります。
問題はこれを陛下にお届けする前に止めた宮内庁側にあるわけですが,そう判断した理由は何だったのでしょうか?
侍従長が陛下から富田メモに書いてある理由を日頃から聞いていたのか,それとも,侍従長の全くの独断だったのか,意見の分かれるところでしょう。高森氏も,「経緯が伝わっているのなら」と前提を述べていますので逆に「伝わっていないのなら」,メモに書いてある内容に事実関係との齟齬は見当たらないと云うことになります。実際,この討論でも他の場面に,高森氏はメモ内容に関して「天皇のお言葉」としてそれほど違和感がないことを発言しておられました。

どうも結果的に,このエントリーは秦氏の意見を高森氏の意見を用いて批判していくうちに富田メモの内容を認めた流れになってしまった感があります。
他にネガティブな意見として,祭神名表が提出される際にも上記では法に基づいて粛々と厚生省側が行ったとされてますが,実際には旧陸軍方の多かった厚生省側が靖国側の要請に従って独断で行ったという情報もありますので判断のつきかねるところではあります。
まぁ,仮にそれを認めたとしても,別段,筆者の中で変化があるわけでもなく,以前の「筆者の信ずる先帝陛下の大御心」に述べた思いは変わりません。このメモ内容の核心は飽くまで一部の方々への不快感であり,A級戦犯全体への不信感ではないこと,ましてや,合祀への不快感までは読み取れないことが重要なことではないでしょうか?
「だから私はあれ以来参拝していない」とか「それが私の心だ」が合祀への不快感と観る向きもありますが,これとて,文脈が唐突すぎるところから,前の言葉とのタイムスパンを感ずると共に別のシチュエーション(質問)でのご返答とも取れる以上,断言することはできません。
その他にも,筆者の行ったメモの経年変化の問題や捏造説,そして最も懸念される政治的意図など解決せねばならないことは山積みでしょう。

この週末の番組で,識者がほぼ共通で述べた意見は何と云っても「メモの実物公開」と「メモを第1級の史料と断定した日経側の検証の公開」の要請であったことを附記してこのエントリーを終えたいと思います。



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