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経年変化の差異から見えてくる宮内庁の意図


先帝陛下の大御心については筆者なりの結論・思いを前エントリーで述べさせていただいたので富田メモに対してもうあれこれ言うのは畏れ多いのかもしれませんが,やはり化学屋の性なのか?,紙質やインクの経年変化の相違が気になってしまいます。言ってみれば,経年変化は嘘は吐かないと云うところでしょうか。例えば,多くの方が指摘しているこの写真の左右ページの差異

tennoumemo4.jpg

写真というものは光の当たり具合と被写体の位置の相対関係によって実像との違いが大きくなることがありますので何とも云えないのですが,他の公開画像を見てもやはり左右ページの差異は経年変化の相違を示していると観た方がリーズナブルです。左ページの紙質は黄変が進んでおり,インクも完全に黒化しています。反して,右ページの紙質は左pより可成り白く,インク色も視認では完全に青色です。

左右ページがほぼ同時期に書かれたものと仮定した場合,これは科学的に観て整合性がありません(飽くまで既存写真を元に判定した結果です)。
無論,左のメモ帳そのものの紙と右の貼り付け紙とでは紙質が異なっているのは分かっています。メモ帳の紙質は経年変化から観て,おそらく右の貼り付け紙より酸性度が高くリグニン量の多い紙が使われていると思われます。
紙の原料であるパルプには木材の三要素のセルロース,ヘミセルロース,リグニンが必ず入ってます。抄紙工程には紙とするために色々な薬剤を添加しますが,通常の酸性紙には定着剤として硫酸アルミニウムなどの酸性液が含有されていますので,これが色々と悪戯をします。可視光(通常の光)によりセルロースやヘミセルロースは劣化分解していわゆるボロボロでカスカスの紙力を失った状態になり,さらに酸性劣化によってリグニンの黄変(茶変)が生じます。これが通常の紙の劣化と云われているものです。70年代中盤以降より,酸性度の低い中性の紙(中性紙,実際は塩基(アルカリ)性)がよく使われるようになってきていますので,これらの劣化が可成り抑制されるようになっています。ですから,左右ページの紙質の違いは明らかで,経年変化に相違があるのも別段,問題ではないでしょう。それにしても右はやけに白いですが・・・実物を見ないことには何とも云いようがありません。

問題はインクだと思います。右ページのインク色はブルーを保っています。
一般に染料インクですと,その化学構造に依って青色より赤色の方が退色が激しくなります(波長の影響もあるかも?)。筆者は少しばかり分散染料を使ったポリエステルの捺染テーマ(インクジェットプリンティング)をかじったことがあるので大体分かるのですが,ブルーというのは割と発色しやすく劣化が少ない染料だと思います。ですが,このケースでは筆記具が万年筆でブルーブラックインクを使って書いているのでは?というのが一般的な見方になっています。確かにあの年齢辺りの方(富田元長官)なら,万年筆を愛用してもおかしくないでしょうね。万年筆のインクについて筆者は詳しくないので,このHP(インク研究会様)を参照すると,ブルーブラックインクというのはブルー染料と硫酸第一鉄をミックスして調製したインクだと云うことです。硫酸第一鉄溶液は透明ですので,書いた当初はブルー染料の青が発色されますが,空気に触れて第一鉄が第二鉄に酸化されると黒化します。或いはカーボンブラックのような顔料が入っていると,最初から黒みがかった青色を発色する。



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つまり経時変化により段々と青から黒に変色していくことになるそうです。左右ページ,或いは他ページが同様のインクを使ったとして,左ページのインク色は右より明らかに黒いですから,これはその経時変化の結果だと考えることが出来ます。そうすると,左右ページの経時変化に違いがあるのは,書かれた時代(時間)が異なるという当然の推測が成り立ってしまいます。これは多くの皆さんが指摘したことです。もし,右の貼り付けメモが捏造だとしたら,こんな稚拙な間違いを犯すとは思えません。筆者なら,左右を同時代に書かれたものと見せ掛けるためにブルーブラックで書いた直後にその紙を経年20年程度に設定した環境曝露試験機に入れますね。そうすれば,左ページとほぼ同じ経時変化を人工的に作り出すことが出来ます。ところがそんなことお構いなしに違いを晒している。この事実から,逆にメモは本物そのものを素直に公開していると云えるのではないかと考えられます。ただ,貼り付けメモに使用したインクがブルーブラックではなくブルーインクで,かつこの紙のみ別の手段で保存(脱酸素,暗所低温保存)したとするのなら,左右ページの相違は同時代に書かれたものとしても妥当性はあるのかもしれません。これは捏造云々とは別な話です。

このメモが色々な仮定はあるにせよ,本物だとすると,左右ページの経年変化の相違は書かれた時代が異なると観るのが妥当となります。富田氏は資料によると,2003年の11月に亡くなっていますので,書かれたのは1988年以降2003年までの間となります。前述したようにインクの劣化度合いを考えると,貼り付けメモを好条件で別保存したとしても,精々数年(2002年から2003年まで?)以内でしょう。ただし,ブルーブラックインクは先出のHPを観ると,条件にも依りますが,ほぼ1ヶ月で退色劣化していることを附記しておきます(検証時の写真1写真2)。

このことだけでも最初に報じた日経には説明責任が生ずるものと思います。ですが,その初報(昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ)をよく観ると富田メモが貼り付けてあったとは書かれてはいますが,いつ書かれたものであるという明示はしていないので,その点上手く逃げているなとは思います。初報の詳細はてっく様のサイトに以下のようにあります。
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日経新聞が入手した富田氏のメモで分かった。
昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての価値も高い。
靖国神社に参拝しない理由を昭和天皇が明確に語り、その発言を書き留めた文書が見つかったのは初めて。「昭和天皇が参拝しなくなったのはA級戦犯合祀が原因ではないか」との見方が裏付けられた。 富田氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。
日記は同庁次長時代も含む75-86年まで各一冊、手帳は86-97年の二十数冊が残されていた。 靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で、手帳に張り付けてあった。昭和天皇はまず、「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文まま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と語ったと記されている。
「松岡」、「白取」はA級戦犯の中で合祀されている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使。「筑波」は66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら、合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)を指すとみられる。 さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」と述べている。
「松平」は終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平慶民氏(故人)と、その長男で78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の松平永芳・靖国神社宮司(同)を指すとみられる。
天皇が参拝しなくなった理由についてはこれまで、「A級戦犯合祀が原因」「三木首相の参拝が『公人か私人か』を巡り政治問題化したため自粛した」との二つの見方があった。
現在の天皇陛下も89年の即位以降、一度も参拝していない。

いずれにしても,前述したように自然現象であるインクの経年変化は誤魔化しようがないので,貼り付けメモは後年になって書かれたものではないかという推論が成り立ちます。次に,誰のことを書いたメモなのか?という疑問があります(文中の「私」のこと)。これも色々と検証が進んでますが,その中で最も可能性があるのは徳川元侍従長説でしょうね。藤尾発言だったというのもありますが,藤尾氏があれ以来(1975年?か1978年か?)靖国に参拝していないという明確な資料がないと現実性がありませんし,何よりも一閣僚の言葉としてはその使い方に不釣り合いな違和感を感じます(未だご存命でしょうかね?)。徳川元侍従長なら,その出自から考えても言葉使いに違和感はないですし,同様な意見をもっていたとする資料もありますので現実味があります。
しかしながら,現代史に詳しい識者(秦氏等)がその思想性を考えたとしても,その位のことを見抜けないとは思えないですが,どうでしょうか?ここの辺りについては未だ何とも言いようがありません。

では,また仮定となってしまいますが,このお言葉が先帝陛下のもので,かつ富田氏が後年になって記憶を頼りに書いたものだとした場合には内容的な矛盾が生ずるものと思います。前エントリーでも述べたように,陛下の大御心はメモに書かれているような低次元で感情的なものではないというのが筆者の思いです。でもメモが本物とした場合には私感として矛盾が生ずる。一つには後年になって書かれたものなので,富田氏の記憶違いによる整合性の欠落や多少の脳内創作があったものとすることも出来ますが,やはり富田氏が意図的に御心を偽ったのかな?とも思えます。果たして,そんな大それたことを一介の宮内庁長官がするでしょうか?
と思っていたところ,昨日のテレ朝の「サンデープロジェクト」にゲスト出演されていた岡崎久彦元駐タイ大使がこれに非常に関係するご意見を述べられていました。要するに,陛下の御心と実際のご行動に齟齬がある場合またはそうせざるをない場合,社会的・政治的影響を考慮してその身辺者(宮内庁)が虚偽を取り繕うことがあるというものでした。これについては”極右評論”様が同様の見方(推論の一つとして)をエントリーされています。以下はそのエントリーから引用させていただきます。
岡崎久彦先生は先帝陛下の靖国参拝中止を、以前からの三木内閣時代の公的・私的参拝騒動の結果であるという自説を変える事はなかった。ただメモに関してはそれは元富田宮内庁長官のものであるという点には疑問は抱いていないようだった。 
ではなぜそのようなメモを残したかについては、「臣下」は天皇陛下について、何らかのメモを残す場合は嘘を書く場合も許されるとした。少々難しいが「臣下」は天皇陛下を傷つけてはいけない。守るためには嘘を書いても良いのだという。
 岡崎先生に言わせればメモの内容が必ずしも本当であるとは限らないそうだ。将来誰かの目に触れても天皇陛下が傷つかないように書き残すと説明した。
例えば陛下が「中国は嫌いだ。」と言っても、そうは絶対書かない。その反対の事を書くのだそうだ。それは平和を愛する陛下のイメージを守るためだそうです。では、今回このメモは何のために残されたのか? 
それは良く聞き取れなかったが、小泉総理の靖国参拝などその時々の政治情勢に翻弄される靖国神社問題で、元宮内庁長官として危機感を抱き、そのようなメモ書きを残したと受け止められる説明だった。
 これはどのようなことなのだろう。先帝陛下は靖国神社を戦後参拝していたが、三木首相の参拝が公的参拝か、私的参拝かで国会で問題となった頃から参拝を控えた。
 宮内庁はこの政争に天皇陛下が巻き込まれることを嫌い、天皇陛下の参拝を取りやめた。これは宮内庁が対内的に自らを守るという姿勢を示した決断だった。

太字は筆者が強調しましたが,この理由ならば,何故?メモが大御心とは異なる内容になったのかに合点がいきます。事実,富田氏が書いたと推測できる時期(2002-2003)は政治的にも中共の不当な要求が激しくなっていますし,また石原東京都知事なども天皇陛下のご親拝を仰ぎたいと発言し始めたのもこの辺りだったように記憶しています。だから,陛下をお守りするために富田氏が最後のご奉公をしたのだと考えてもおかしくはありません。瀬戸様もそのようにお考えのようです。
奇しくも筆者がインクの経年変化から求めた推論が最終的に瀬戸様と同じお考えに達したことになります。
メモは本物で富田氏の書いたもの,しかしそのメモは明らかに1988年以降の比較的最近に書かれたものというところまで推測できました。さらにその内容は陛下の御心をお守りするために意図的に虚偽を述べたものであるという一つの結論に達しました。
マスコミはそれを知ってか知らずかは分かりませんが,内容から云って真の理由など公表できるわけもありませんし,別に公表しなくても捏造でない限り道義的にもその義務は発生しません。そこがマスコミの狡猾なところでしょう。しかし,この貼り付けメモが本当に後年になって富田氏によって書かれたものならば,せめてその事だけでも公にして読者(国民)の判断に任せるべきと思うのは筆者だけではないでしょう。

以上は筆者の単なる推論でしかないことをお断りしておきます。ご意見があれば,コメントをお願いいたします。



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